※ネタバレあり ONE PIECE FILM RED感想 理想の具現化、少女という形の願望器

※ネタバレします。

ONE PIECE FILM REDを見てきたので感想を書きます。

前提条件として私はワンピースはアラバスタくらいまでは昔アニメで見てたくらい、今の知識は黄猿合同とかシャンクとか悪い知識しかありません。

逆にAdoについてはファンであり、今回の映画もAdoの歌を目的に観にいきました。

 

まず最初の引き込みが最高でした。世はまさに海賊時代のナレーションから入るのは「ポケットモンスター、縮めてポケモン…」から入るポケモン映画みたいでテンション上がりました。

そして何より余計なシーン一切なくまずこれを見てくれと言わんばかりにすぐのライブシーン。私のようにAdo目当てで見にきた観客の興味を一気に引き込むと同時にこの映画の主人公はルフィやシャンクスではなくウタだと言うことを明示します。あ、映画館の音響と手の込んだ映像で見るAdoのコンサートは最高でした。

そう、この映画の主人公はウタなのです。さらに言えばこの作品のテーマは表現者の在り方であると私は思っています。

ウタは世界中に曲を届けるうちに世界の不平に気づくようになり、また、自分のファンである人々はこの時代が変革されることを望んでいることを知ります。

ファンの思いには応えなければいけないという思いは創作や表現をする人間全てが持っているものです。

そしてそれを叶えられる力があって、自分自身もそれを求めているなら、そこに自分がどうなろうが、それが本当に正しいかなんてどうでもいいことです

それがウタの起こした事件であり、そこにあるものは革命家の強い信念によるものではなく、皆が持っていた理想の具現化です。ウタは願望器なのです。

ですが、人間の甘い考えの理想なんて脆いものでです。結局は社会があり、人生があり、現実がある中でこうなったらいいなの妄想でしかありません。

しかし、ウタはその妄想を実現してしまった。それこそがファンの希望だと信じて。

これもまたウタが願望器であるがゆえで、皆が求めたものが実際に必要なものかの判断がないのです。

だからこそ、その計画がわかり反発が起こった時の絶望は凄まじかったかと思います。皆が喜ぶと思って自分の命すらかけてやったことに、こんなことは望んでない、なんて言われたらたまったものではないでしょう。

実際、計画の正体が判明してからウタは明らかにおかしくなっています。それまでには皆を幸せにするんだというプラスのエネルギーで動いていたものが、何が起ころうがこの計画だけは実現させると言う執念で動いています。

子供の頃のウタはシャンクスたちが喜んでくれればそれでよかった。いわば好きでやっていたアマチュアです。しかし、歌手としてのウタは世界の人々に希望を与えなければいけないプロなのです。

たとえそれがそれを望んでいた人に求められなくても、一度聞いた願いを止めることはできない。だってプロだから。それこそが全ての行動理由だから。

この辺の思いは曲の歌詞にも登場しています。

たとえば『私は最強』には「私の夢はみんなの願い」「無理はちょっとしてでも花には水をあげたいわ」逆に「私の思いは皆んなには重い?」といった、自分でもどこかで気づいているような部分も。他の曲にもウタの感情ははっきりと表れています。

最終的にはシャンクスの元でプロとして、願望器としてのウタではなく、人間の、シャンクスの娘としてのウタとして終わりを迎えたのはとても美しい結末でした。

 

私自身創作で悩むことが最近多く、自分がやりたいことはなんだ、ファンの希望に応えられているか、という思いが強くありました。

もちろん能力や努力の量、意志の力でウタと同じレベルとは思ってはいませんが、同じく表現シャとして、少ないながらもファンと呼べる人がついてくれている身として、とても考えさせられる映画でした。

 

究極的には表現者というのは無私であるべきという理想とそれを実行した結末を描いた物語としてとても面白かったです。