献血ポスターの話(10/20)
おはようございます。
原稿
今日は以前できなかったカラオケでの作業をやってみた。
カラオケという環境はなかなかに良く、集中して作業することはできた。が。
長時間iPadで作業することは非常に体に負担があることもわかった。低い位置で描くので腰が痛い。
いい感じの台が必要。
お歌
歌ってた時間のほうが長い気がするのでやっぱりカラオケダメだ。
未だ声が気持ち悪い、音程が狂ってる、などの問題はあるものの、高音は無理なく出るようになった。
女声で歌えるのにだいぶ近づいたと思うんだけど、今時点ではめちゃくちゃ気持ち悪い声しか出ない。
献血ポスター
今更ではあるけれど。
宇崎ちゃんのポスターが性的だと話題になった。
それが規制されるかはともかく、私はあのポスターは性的だし、意図的にそれを描いているし、公的なポスターとしてはそぐわないと思う。
というか、アレでちんちんイライラしないのは作者批判と言ってもいい。
だからオタクの性的ではない、問題ないという批判は完全に的外れと感じた。
だがこれは宇崎ちゃんが悪いのではなく、場所にそぐわなかっただけのこと。
問題はそれが規制されるかどうか。問題があるという一人の発言で規制される。それでは表現するものなど何一つなくなってしまう。
ご意見を真摯に受け止め改善してまいれ。
まあこの騒動はいつものバカの争いという感じだが、今回は嫌なものを見てしまった。
性レイシストが男性はこれがポスターになったら嫌だろうと上げた一枚の画像。
男性が網タイツにハイヒールを履いたセクシーな写真。
もちろん批判が殺到していた。でもその批判にも、面白いとか、笑えるとかそういうものが混じっていた。
本当に馬鹿にされた気分だった。心底ムカついた。
所詮LGBTは男性様女性様には及ばない存在なのかと。気持ち悪いと笑われるものかと。
その写真の男性は俳優で非常に美しい顔とスタイルを持っていた。それですら女性の服飾をつけた1枚の写真で馬鹿にされ笑われる。
マツコなど、オネエタレントの進出でLGBTへの偏見は薄まったのではないか、という話がある。
そんなことはない。彼ら彼女らは面白いから存在を許されているだけだ。しかもその面白いにはオカマが変なこと言っているという差別的視点が含まれていれる。
美しいもの面白いものでなければ存在を許されないのならば私は。
じゃあね、